ノーマライゼーションが生まれた背景2

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デンマーク福祉社会とバンク‐ミケルセンの思想と実践 第13回

デンマーク連載24回シリーズ ノーマライゼーションがデンマークで誕生した背景には、様々なものがあると考えられますが、バンク‐ミケルセンが影響を受けたと考えられる要因に絞り込んで整理すると以下のようなものになります。

  1. 長い年月をかけた民衆運動により、平和主義と民主主義が確立されていた。
  2. グルントビーが創設したフォルケホイスコーレに代表される自由な教育・議論の場が存在していた。
  3. 優生学の思想による保護主義への反発から、知的障害者の処遇を改善しようとする活動が「親の会」によってすすめられていった。
  4. ナチズムへの抵抗がノーマライゼーションの理念を構築するエネルギーとなった。

今回はその2つ目についてお話します。

フォルケホイスコーレによる教育

1830年代には「近代デンマーク精神の父」とされるグルントビー(Grundtvig,N.F.S.,1783-1872)に感化を受けた人々がグルントビー派を組織し、彼らはのちに社会の民主化を目指すようになります。対話と相互作用による全人教育をめざしたグルントビーの教育理念は、フォルケホイスコーレ(国民高等学校)を生み出し、この学校の出身者たちの中から政治的社会的関心に目覚めた人々がデンマークの民主化運動の担い手となっていきました。

グルントビーは以下のように述べています。

「我々は死に至る学校をよく知っている。“死せる言葉”でもって得々とすることを名誉とし、完璧な文法、完璧な学習のみを理想とし、人々の生活や心を無視していた学校を。そのような学校に通っても、そこで受けた教育が自分の人生にとってほとんど役に立たなかったことを我々は経験的に知っている。たとえ天使が書いた文章であっても、それは読み手の生活に溶け込めるものでない限り、すべて死んだものです。」

グルントビーは生きた言葉で学生と教え手が語り合い、触れ合う「生きた教育」を実践し、民主主義の思想を定着させることに成功したのです。

デンマークの教育システム(クリックして拡大)出典:野村武夫,2004,「ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク」ミネルヴァ書房pp.190

デンマークの教育システム(クリックして拡大)出典:野村武夫,2004,「ノーマライゼーションが生まれた国・デンマーク」ミネルヴァ書房pp.190

現在、フォルケホイスコーレはデンマークに100校あり、数10人規模の学校が主流です。特色は、試験というものを絶対にせず、単位や資格の付与もなく、教師と学生が寮で共同生活をし、書物よりも対話を中心に、生そのものを学び、社会性を自覚するということがあげられます。そのために「自由学校」「生のための学校」とも呼ばれます。自由な形の学校ですが、デンマークがそれを国民学校として認可しているのです。

日本での高校卒業にあたる満17歳半以上の人なら、性別、年齢、障害の有無、国籍を問わず、誰でも入学でき、学期は2ヶ月の短いものから、最長8ヶ月までいろいろあり、好きなだけ更新できます。合宿型のカルチャーセンターのようですが、なにか技術や知識を習得することに主眼があるのではなく、あくまで授業や討論、実践、実習、生活を通して、自己発見をし、これから生きる自分の道を探すことに力点がおかれている、れっきとした学校教育の場なのです。

フォルケホイスコーレは、ひとつの自由な教育の体系をもち、幼稚園、フリースコーレと呼ばれる小学校、エフタースコーレと呼ばれる寮生活を主とする自由な中学、それにフォルケホイスコーレの上にあるものとして、フォルケホイスコーレと普通の小学校の教員資格がとれる教員養成大学、および学位なども取得可能なフォルケアカデミーと呼ばれる研究所をもっています。

フォルケホイスコーレは日本の教育にも影響を与えています。宮沢賢治は最初に日本にフォルケホイスコーレの思想を紹介したと言われており、また、内村鑑三もフォルケホイスコーレの思想を日本に広め、内村から教育を受けた松前重義にも影響を与えました。

松前重義によって創立された東海大学は、フォルケホイスコーレの教育をモデルとして設立されました。松前は、青年時代内村鑑三の薫陶を受けた人で、内村を通してデンマークとグルントビーを知りました。

時代が軍国主義に染まり、日中15年戦争が始まる中で、デンマークが戦争による国土の荒廃をグルントビーとフォルケホイスコーレ運動という教育によって乗り越えたことを聞き、キリスト教とヒューマニズムに立つ、あるべき教育の姿として、彼の思想の原点になりました。

東海大学秦野写真 nunnun

大学のどこかには松前氏が見てきた光景が取り入れられているかもしれませんね

1933年(昭和8年)、通信技術研究のためにドイツへ留学した松前は、休暇を利用し、翌年長年の憧れだったデンマークへ行きました。そこでいくつかのフォルケホイスコーレを訪ね、デンマークの農村社会をつぶさに見ました。それは期待にたがわず、対話と相互作用を中心とし、教師と学生が家族のような共同生活を送るフォルケホイスコーレと、それまで彼がいたドイツとはまったく違うデンマーク社会は、大きな感銘を彼に与えました。

松前は帰国後の1937年(昭和12年)、長距離無装荷ケーブルの発明によって得た資金で、武蔵野市にフォルケホイスコーレをモデルとした「望星学塾」を開きます。のち1943年(昭和18年)に静岡の清水市に航空科学専門学校、翌年、東京に電波科学専門学校を設立し、1946年(昭和21年)両者を合併して東海大学を設立しました。直接にはこの2つの専門学校が東海大学の母体ですが、その精神は「望星学塾」に由来します。

私学関係者では、玉川学園の創立者小原国芳も、グルントビーとフォルケホイスコーレから多くを学んでいます。松前重義ほどの直接の関係はありませんが、創立当時デンマーク体操を導入したり、あるいは彼の教育方針です「全人教育」に何ほどかの影響を与えているようです。

このように、フォルケホイスコーレの思想は、日本にも影響をあたえています。フォルケホイスコーレという自由な教育の場が存在したことが、民主主義の浸透につながり、ノーマライゼーションが生まれる背景のひとつとなりました。また、次回に詳細をお話しますが、このフォルケホイスコーレという自由な討論の場でなされた話し合いが、ノーマライゼーションという言葉を誕生させるきっかけにもなったのです。


東海大学教育開発研究所ホームページhttp://www.ried.tokai.ac.jp/riedTokai/aboutRIED/index1.html

松前重義,1969,『東海大学の精神』東海大学出版会

佐藤豊:NPO法人や社会福祉法人で知的障碍者授産施設の経営、ヘルパーの養成に長年携わるなど福祉事業をライフワークとして取り組んでいる。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修士課程修了。国会議員政策秘書資格認定。岩手県一関市出身。

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