ノーマライゼーションが生まれた背景3
デンマーク福祉社会とバンク‐ミケルセンの思想と実践 第13回
ノーマライゼーションがデンマークで誕生した背景には、様々なものがあると考えられますが、バンク‐ミケルセンが影響を受けたと考えられる要因に絞り込んで整理すると以下のようなものになります。
- 長い年月をかけた民衆運動により、平和主義と民主主義が確立されていた。
- グルントビーが創設したフォルケホイスコーレに代表される自由な教育・議論の場が存在していた。
- 優生学の思想による保護主義への反発から、知的障害者の処遇を改善しようとする活動が「親の会」によってすすめられていった。
- ナチズムへの抵抗がノーマライゼーションの理念を構築するエネルギーとなった。
今回はその3つ目についてお話します。
優生学による保護主義への反発と親の会の発足
20世紀の初めに知能測定法が編み出され、非常に多くの人々がボーダーラインにいることが明らかになりました。知能障碍についての調査がされ、一般の人々の中にも知的障碍者が多くいることが判明しました。同時に他の調査では、準正常値の者が一貫して増加傾向をたどっている事実が明らかになりました。その結果、この問題の優生学的側面に人々の関心が集まるようになったのです。
優生学(eugenics)は、1883年、イギリスのフランシス・ゴルトンによる造語だとされ、彼の著書『遺伝的天才』の中で提唱されました。ダーウィンの影響を受け、社会のために良い遺伝子を残そうとする運動であったが、隔離政策や強制的な避妊政策などの理論的裏づけになり、人種や、階級偏見に科学的な言語を与えてしまったという批判を浴びました。
イギリスでは、特に女性のアルコール依存症との関連性で問題視されることが多かくありました。大きくダーウィン派とラマルク派に思想的には分かれ、ラマルク派の優生思想からはボーイスカウト運動などが生まれたとの指摘もあります。20世紀におけるこの説の信奉者で著名な人物は後述するアドルフ・ヒットラーです。彼は「ドイツ民族-アーリア系を世界で最も優秀な民族にするため」に、「支障となるユダヤ人」の絶滅を企てた以外に、長身・金髪碧眼の結婚適齢期の男女を集め、強制的に結婚させ、「ドイツ民族の品種改良」を試みました。
第二次世界大戦が始まるまでの時期は、知的障碍の9割までを遺伝によるものだと考えていました。その対応策として、生活の隔離、避妊手術、婚姻制限法の制定、結婚しようとしている人達などを対象にした優生教育などが行われました。生活隔離のために大規模施設がつくられ、避妊手術や婚姻制限を定めた法律が制定されました。
1920年代末から1950年代までのデンマークでは、ほとんどの場合、避妊手術が知的障碍者が施設を出るときの条件でした。しかし、多くの人に避妊手術をほどこしても、知的障碍者の数は減少することがありませんでした。
このようなことが行われた背景には、それを受け入れてしまう土壌がデンマーク国民の中にあったからです。バンク‐ミケルセン(1977)[1]は以下のように述べています。
知恵おくれの人々のための公共施設が初めて設立されたのは1855年で、この創設は私的なものであった。24箇所に散らばる小さなスクール・ホームであった。アイデアはスイスのものからきていて、かなり楽観的ですが、知恵おくれを治療するという目的をもっていた。一生徒から「正常な能力をもつ」人々をつくりだそうというものです。
このことは医学上及び教育学上の内容をさし、教育の主なものは肉体的な訓練であった。2・3年後、この事業は断念された。治療された者はなく、そこで、目的は保護的な世話ということになった。これは知恵おくれの人々を社会から保護し、逆に、社会を知恵おくれの人々から保護することさえめざす、保護主義を特徴としていた。
あらゆる保護主義者の姿勢は、第二次世界大戦寸前までコペンハーゲン大学にも残されていた理論、すなわち知恵おくれの人々の中には知恵がおくれているがゆえに危険であったり、犯罪者であったり、不安定であったりするグループがあるという理論に援護されていた。
このような土壌の中で、デンマークはナチズムの侵攻を許してしまいました。また、もっと具体的な事例としてはオーストリアの例があげられます。ナチスがもっとも早い段階で侵攻した国がオーストリアです。ウイーンに入ってナチスが最初にしたことが、障碍をもつ子供たちを強制的に収容することでした。特に、ダウン症の子供たちは、顔に蒙古症と呼ばれる目が釣りあがる顔の特徴があるので、すぐに発見され、つかまってしまったのです。ウイーン市内におけるほとんどのダウン症児が収容されてしまうということになってしまいました。
そして、小屋の中には母親がいるというナチスの勧誘のことばにつられて我先にその小屋に飛び込んで行った子供たちは、そこで、ガス室における人種浄化政策の犠牲になってしまうのです。
第2次世界大戦以後、このとき抵抗せずにこのような行為を許してしまった知的障碍者の親たちが、2度とこの悲劇を繰り返すまいとしてつくったのが、ウイーン知的障碍者親の会です。現在、世界でもっとも強く活動的な親の会と言われ、数年前にはオーストリアの右翼政党である自由党党首ハイダーが内閣に入閣するにあたって、反対運動を展開し、それを取りやめさせることに成功しています。宮本氏[2]は新しい右翼について、次のように述べています。
| 旧い極右 | 新しい極右 |
| イタリア国民運動(イタリア)
国民政治連合(ギリシア) キリスト教民主党(ポルトガル) 国家民主党(ドイツ) ドイツ民族連合(ドイツ) 中央党86(オランダ) 国民戦線 (イギリス) |
国民党(デンマーク)
進歩党(ノルウェー) 国民戦線(フランス) 中央民主党(オランダ) フラームス・ブロック(ベルギー) 共和党(ドイツ) 自由党(オーストリア) 人民同盟(スペイン) |
出典:宮本太郎、2004年、「新しい右翼と福祉ショービニズム」斉藤純一編著『福祉国家/社会的連帯の理由』
ミネルヴァ書房、pp.58
欧州福祉国家は、路線転換を模索する社会民主主義と新しい右翼が交錯する大きな政治的振幅のなかにある。1998年の段階では、社会民主主義勢力が主導する政権が増大し、EU15カ国のうち13カ国までがいわゆる『中道左派』政権になった。
しかし、99年のオーストリアの総選挙でイェルク・ハイダーの自由党が大勝した後、排外主義的な右翼政党の進出を背景に右派政権がこれを次々に覆し、そのうちオーストリア、イタリア、オランダでは右翼政党が政権に加わった。北欧では、2001年にノルウエーにおいて労働党政権が、またデンマークで社民党政権が政権を失い、それぞれ右翼の進歩党(ノルウェー)と国民党(デンマーク)が新政権の政策運営のキャスティングボードを握るに至った。
欧州における右翼を新しい右翼と古い右翼に分けると、オーストリア自由党は新しい右翼にはいり、デンマークの国民党もその範疇にはいる。今日台頭する右翼勢力をどのようにとらえるかについては多様な分析ができる。
ミュッデ[3]によれば、特徴が5つあり、ナショナリズム、人種主義、外国人嫌い(xenophobia)、反民主主義、強い国家志向であるといいます。
こういった特徴を鋭敏に察知したウイーン親の会のメンバーが反対運動の中核となり、ハイダー党首を政府の政策決定者となる閣僚メンバーからはずしました。
このように第二次世界大戦から現在にわたって強い勢力があるウイーン親の会の影響を受けてヨーロッパ各地に親の会が広がっていき、デンマークの親の会発足につながることになります。
デンマークにおいては、1951年から1952年にかけて、親や家族が知的障碍者の隔離的で保護主義の色彩のつよい処遇を改善しようと、「知的障害者親の会」が発足しました。そして、この親の会とバンク‐ミケルセンが、フォルケホイスコーレという場を得て議論をし、そこからノーマライゼーションの理念が生まれたのです。
[1] N.E. バンク-ミケルセン、前掲「ノーマリゼーションの展開」pp.47
[2]宮本太郎、2004年、「新しい右翼と福祉ショービニズム」斉藤純一編著『福祉国家/社会的連帯の理由』ミネルヴァ書房、pp.55
[3] Mudde,C.(1996)”The War of Words Defining the Extreme Right Party Family”, West European Politics, Vol.19, No.2
佐藤豊:NPO法人や社会福祉法人で知的障碍者授産施設の経営、ヘルパーの養成に長年携わるなど福祉事業をライフワークとして取り組んでいる。早稲田大学公共経営学術院修士課程修了。岩手県一関市出身。
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