法の制定とノーマライゼーションの実現
デンマーク福祉社会とバンク‐ミケルセンの思想と実践 第18回
1953年、親の会の要望が受け入れられ社会省に「知的障碍者福祉政策委員会」の設置を実現することになり、バンク‐ミケルセンが委員長に就任しました。1958年、「知的障碍があってもその人は一人の人格を持っているのであり、ノーマルな人と同じように生活する権利を持つ」という理念を盛り込んだ報告書がまとめられました。そしてそれが1959年、「知的障碍者福祉法」として成立したのです。
この法律は世界で最初に「ノーマライゼーション」という言葉が用いられたことから、「ノーマライゼーション法」ともいわれています。条文の中に「知的障碍者の生活条件を可能な限りノーマルな生活条件に近づける」という、第6回でとりあげたノーマライゼーションの理念が、世界で始めて使われた法律となったのです。
バンク‐ミケルセンは、「1959年法」には、実質的に「親の会」の意見をもとにした彼の考えが95%盛り込まれたと言います。
当時の社会状況をバンク‐ミケルセンは次のように分析し、述べています。
第二次世界大戦中は、社会も人も、あまりに混乱していました。社会福祉のことなど全く考えることもできないのが実状でした。戦後になると、それまでの反動もあって、人びとの間では、生活を守り高めるために社会福祉を改革し充実しようという願いが強くなりました。また、社会省としても、福祉の諸政策をみなおして新しい事態に対応し、望ましい社会を作り出すことに強い関心をもちました。そのような状況の変化が幸いして、ノーマリゼーションの考え方は、当然向かうべき方向だという意見となったのです
ノーマライゼーションに対して、内容の急進性がゆえに国会議員の反対意見もありました。しかし、いざ国会で審議される段階においては、反対意見はほとんどありませんでした。議員たちの人間性もありましたが、デンマークの国自体が経済発展の国内状況にあったということが有利に働きました。
そして、知的障碍者の親の会が強く団結をして、政治家に大きな影響を及ぼすことができる圧力団体としての地位を確保できるだけの基盤があったことも、重要な要因でした。
1959年法が制定された後、バンク‐ミケルセンは、精神薄弱福祉部長に就任し、1973年まで続けた後、嘱託としてデンマークのノーマライゼーションの実現につとめました。バンク‐ミケルセンが部長に就任した以降、ノーマライゼーションは急速に進んでいくのです。
佐藤豊:NPO法人や社会福祉法人で知的障碍者授産施設の経営、ヘルパーの養成に長年携わるなど福祉事業をライフワークとして取り組んでいる。早稲田大学公共経営学術院修士課程修了。岩手県一関市出身。
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