『東京ブルーサンダース』

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野球を楽しもう!『東京ブルーサンダース』

 「障碍者として野球がしたい・・・」。

 多摩障害者スポーツセンターで、野球活動をしていた選手達が、矢本監督を迎えて障害者野球がスタートしました。

 結成当時は監督・コーチ・選手10名と、マネージャー2名の14名。

 全国大会に初出場し、大激戦の末に初勝利を挙げたのが『東京ブルーサンダース』の始まりです。

 『多摩ベースボールクラブ』を立ち上げ、歴史に残る歴史に残るデビュー戦を行ったのが、1997年でした。

 障碍をお持ちの方の野球を普及させたいと思い、さまざまな取り組みを行なっていらっしゃったのが、岩崎廣司さんです。

 『日本障害者野球連盟』理事長である、岩崎さんは1949年生まれ。

 今まで、35年以上に渡って全国を歩き、障碍者のための野球活動の普及と加入を呼びかけて、現在でも、積極的に障碍をお持ちの方々の野球のために、全力で活動していらっしゃいます。

 まさに、『障碍をお持ちの方々のための野球』のパイオニアとして、日本に『障碍者野球』を定着させてきました。

 こうして長年に渡り、普及振興に取り組んでいらした功績が評価され、財団法人 日本障害者スポーツ協会から『特別功労賞』を受賞されています。

 発足当初である、1981年は、『障碍者野球「神戸コスモス」』を結成。当時は、岩崎さん本人が監督を務めていらっしゃいます。

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Photo by theseanster93

 1993年には、『日本身体障害者野球連盟』を設立(現在31チーム、820名超が登録)。

 1998年には、『財団法人日本障害者スポーツ協会認定種目団体』となりました。

 障碍をお持ちの方が、心から野球を楽しむための基盤が、しっかりと築きあげられていく中で、『多摩ベースボールクラブ』としても、さらに強くなり、多くの方々に感動を与えるような試合をしたいと願い、チーム名を『東京ブルーサンダース』に改名。

 多くの試合で、歴史的な勝利を挙げていくことになります。

 チームの名称を改称する際には、「全国大会で勝つ!」という想いから、選手達の発案で、全国を意識するために、「多摩」の名前から、「東京」の名前がついたチーム名へ変更。

 ユニフォームのカラー「青」を活かした、見るからに強そうなチーム名“ブルーサンダース”としてスタートします。

 その名のとおり、強く打ち勝つスタイルで、1997年春の全国大会チーム最高成績の準決勝進出。

 このシーズンから、障碍をお持ちの方々の野球環境もさらに充実し、「全日本身体障害者野球選手権大会」がスタート。

 『東京ブルーサンダース』は、初代関東甲信越代表として第3位に入賞します。

 2002年には、『全日本身体障害者野球』の甲子園大会に、東北関東連合チームとして出場。

 各選手が、高校を卒業した後、悲願の甲子園に出場。

 矢本監督が、甲子園のベンチで采配を振るい、富沢選手が甲子園で、なんと本塁打を飾ります。

 2006年には、『第1回 世界身体障害者野球大会』を開催。

 大会実行委員長には、長嶋茂雄氏が就任されました。

 『東京ブルーサンダース』からは、石垣選手が、日本代表選手チームの一員として、チームを代表して選出されることとなります。

 また、矢本監督が、日本代表チームのコーチに就任。

 石垣選手は、台湾戦での5安打、1ホームランを放つなど、大活躍し、敢闘賞を受賞します。

 多くの方々の想いを胸に、世界に飛び立った『東京ブルーサンダース』の魂は、チームメイト、そして、多くのファンやスタッフの気持ちを受け止め、世界へ飛躍。

 これから野球を始めようと思う、世界中の障碍をお持ちの方々へ、熱いメッセージを届けることとなりました。

 多くの方が愛してやまない『野球』。

 感動と生きる力を与える、『東京ブルーサンダース』の活動に、これからも期待したいですね!

※参考資料:
『東京ブルーサンダース』
http://www.bluethun.com

ライター:野間能子 医療・スポーツ・美容・飲食など、ライフスタイル全般のプランニング、編集・執筆、商品企画などを行う。

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