バンク‐ミケルセンの生い立ちと地下運動

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デンマーク福祉社会とバンク‐ミケルセンの思想と実践 第16回

デンマーク連載24回シリーズ最後のまとめとして、今回からバンク‐ミケルセンの生涯を振り返ります。

日本では「ノーマライゼーションの父」として知られるバンク‐ミケルセン(Bank Mikkelsen,N.E.1919-1990)は、1919年にデンマークのユトランド半島北西部の小さな町スキャーンで生まれました。

両親は信仰心があつく、父親は紳士服商を営み、母親は教会で知的障害児との交流をかかしませんでした。高校時代に生涯の伴侶となる1つ年上のビヤタ・ハンセンと出会い、1941年に結婚します。そして、1944年にコペンハーゲン大学法学部を卒業、大学で学んだ法律が、のちにノーマライゼーションの考え方を法制化する仕事に役立ちました。

スキャーンの風景写真 HelgeRieder

バンク‐ミケルセンもこんなスキャーンの風景を眺めたのでしょうか

1944年、ナチスのデンマーク不法侵入と同時に、他の学生とともに最初に結成されたレジスタンス運動「団結デンマーク」に身を投じます。妻ビヤタ、長男オールも地下活動に加わり、ビヤタは新聞の印刷と発送に従事しました。

バンク‐ミケルセンは地下運動として反ナチズムの新聞を発行しているところを、ゲシュタポにつかまり、編集長はその場で射殺され、副編集長だった彼のみの命が助かりました。彼はナチスに逮捕され、コペンハーゲン西刑務所、ついでドイツ国境近くの強制収容所でデンマーク解放のときまで収容生活を送ります。この収容所での体験はバンク‐ミケルセンが、人間の生と死、人間の生活のこと、また平和と戦争のことを深く考える契機となりました。

バンク‐ミケルセンは次のように述べています。

ナチスがデンマークを不法にも支配していたその時期に、デンマークの人びとは、とくに青年は、ごく当然のこととナチスへの抵抗運動に加わりました。ユダヤ系デンマーク人に対してナチスは特に激しく弾圧しました。それは、非人間的な暴挙でした。彼らが、人間性を冒瀆するありさまを見て、なぜ人間はそこまで横暴になれるのかを考えさせられました。そして、それらのことを経験したり考えたりしたことが、人間の平等ということに関心を持つようになった理由です

1945年、26歳のときに釈放され、ふたたび記者として「団結デンマーク」に加わったあと、バンク‐ミケルセンは社会省に入ったのです。


中央法規出版編集部、2002年、『社会福祉用語辞典』中央法規出版、pp.448

花村春樹 訳・著,前掲書,pp.70

佐藤豊:NPO法人や社会福祉法人で知的障害者授産施設の経営、ヘルパーの養成に長年携わるなど福祉事業をライフワークとして取り組んでいる。早稲田大学政治経済学術院公共経営研究科修士課程修了。岩手県一関市出身。

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